むだな話よ


あのさ、こないだのライブ以来、前に好きだったバンドやそれ関連のHPをめぐっているんだけども、わたしの心をぐいっと掴んだのは、やっぱり吉川昌利でした。
グルグル映畫館、現太平洋ベルトのね。わたしは5年前、グルグルにのめりこんでいて、天野以外脱退を機に、ビズアル系自体聞くのをやめてしまった。それだけ吉川は変で、面白くて、わたしがビズアル系に求めるすべてだったわけ。
でね、太平洋ベルトのHPの日記を、ずーっと読んでいる。すると、当時の支離滅裂なまでの変さはもうあんまりなくて、普通に仕事して趣味はバンドですみたいな35才独身男性の日常が見えて、最初は悲しいような切ないような気分になったんですが、だんだん、何かに似ている気がして、さかのぼるのが止まらなくなってきた。
何に似ているかっていうと、「るきさん」。男のるきさん
わたしゃね、バンドマンがさ、なにを作って食べたとか、買い物に行ってなにを買ったとか、興味ないというか別に知りたくないから、悲しくなった。でもねぇ、吉川日記には、度を超えた普通さ、地味さ、お気楽さ、はっきりしたハレとケの区別があって、わたしの中で「るきさん」にまで昇華されました。
わたしの中で、というのが重要な点で、この「るきさん感」にはノスタルジィが混じっているわけ。わたしのセイシュンはビズアル系と共にあったから、例えばPlastic Treeの「Puppet Show」を聞くと中3の夏休みを思い出すみたいに、吉川昌利という人は高校時代を思い出させる。ハレとケを使い分けられずに毎日酒を飲んでいる23才のわたしは、吉川るきさんによって実家で酒なぞ飲まずに規則正しい生活をしている17才の自分を思い出さされる。
この感覚は、わたしにとって揺るがない確実なものなんだけど、わたしと同じ時期に同じ音楽を聞いて、同じ時期に聞かなくなって、その後同じ方向に進んだひととしか共有できないものであって、そんなひととは出会ったことがない。
誰とも共有できないこういう感覚がひとそれぞれにあって、ひとりだけの特殊なノスタルジィが世界中に散らばっているんだろうなと思うと、寂しい気もするけど、なんかいいなぁ、と、そこまで思考は飛躍しましたよ、吉川昌利によって。